エビデンスってなんだ(過大評価されてません?)

このコロナの一連の騒ぎのせいで、疫学や感染症モデリングが注目されることもあり、公衆衛生学を学んでいた人間としては、人のためになることを学べてよかったと思う場面が増えています。

 

昔なんて、就活のエントリーフォームで大学院の専門を入力するとき、公衆衛生学なんて出てこなかったですからね!まあ平常時には、一般人には馴染みのない(というかその必要がない)学問であるとは思います。

 

ただ、ここ1年近くのニュースを見るにあたって、なんとも「エビデンス」という言葉が、水戸黄門の印籠がごとく扱われている気がして、なんとも微妙な気分になってしまいます。

※筆者は公衆衛生学修士+学術論文(査読有)数本レベルなので、その分野の専門家ではないのは予めお断りしておきます。

 

なんで微妙な気分になるかというと、たぶん次のような点です。

・個人的には、物事を0/1で正しい・正しくないを判断する「エビデンス」はない
・そもそも、とある論文1本orとある1連のデータで示唆されることはあくまで1事象から導き出された可能性でしかない

・示唆された内容の外的妥当性・内的妥当性を該当研究分野としてチェックするというのが最低条件となる

・その上で今回のコロナのような政策決定に用いるなら、プラスアルファでの検討が必要。例えば社会倫理なり、経済学なり。政策というのはとある1分野からでたエビデンスによってのみ判断されるものではない。

・むしろ政策というのは複数の分野にまたがる価値判断をする事であった、エビデンスというのは、その判断における1要素でしかない。

 

、、、ということを考えていたら、こんな素晴らしい記事を見つけたのでシェア。

takehiko-i-hayashi.hatenablog.com

 

なんにせよ、物事の判断は複数要素かつ重層性があるものなのに、それをエビデンスという言葉で単純化しすぎているように感じるのです。だからいろいろな「専門家」なる人が出現してその言葉に振り回されるんではないでしょうか。

 

会社の意思決定もきっと同じですよね。戦略・財務・組織とか複数面を総合的に見るのであって、「とあるデータである新施策をやったら該当事業の売り上げが20%増し」っていっても、この1行だけで意思決定をするなんてありえないわけで(小さい会社なら別ですが)。

 

エビデンスっていうとかっこいいし、それっぽいんですけど、むしろ思考停止に陥りやすい罠なんじゃないかなと感じた1年でしたマル

 

==追記

昔記事にしてたけど、1つの研究をとってみても、研究デザインみたいな表層的なとこだけではなくて、バイアスだったり、Bradford Hillクライテリアとかいろんな角度から見なければいけないのに、政策決定のためのエビデンスっていうのは質vs速さvsリスク評価でいう質とリスクの一部にしか貢献してないですよって改めて感じたので追記。

 

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